三大候補は「先斗町」「一口」「間人」と、京都地名研究会(京都市西京区)のメンバーは言い切る。京都の人も首をひねるかもしれない難読地名三つのうち二つの由来と命名の背景が、佛教大紫野キャンパス(北区)で催された全国地名研究者京都大会で語られた。
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『広辞苑』の第7版(2018年1月刊行)から、先斗町(ぽんとちょう)の説明が変わった。
先斗町は鴨川沿いの三条―四条通などの路地にあたり、花街のお茶屋建物や飲食店が軒を連ねる。これにまつわる「ポント」(先斗)について、広辞苑は旧版で〈(1)洲崎(すさき)の意・「―町」 (2)カルタ賭博などで、真っ先に金をかける意か〉としてきた。夜の先斗町(京都市中京区)
だが第7版から、(1)が削られ、(2)のカルタ賭博の用語に基づくとの見方が主になった。〈また、先と後に分けず先ばかりに掛ける意とも〉との新たな解釈も加わる。
地名の由来について、京都のスタンダードな知識を問う京都検定の公式テキストが「京の町の東の先端に当たることから」とするなど、よく知られた国語辞典の影響力は大きい。そして、第7版のこの改訂を促したのが、京都地名研究会メンバーの杉本重雄さんの考察とみられる。先斗町について語る杉本さん。その考察が広辞苑の改訂にも影響したとみられる
諸説あるうち、これまで有力視されてきたのが、京都帝国大教授で国語学者の新村出の見解だ。新村は1925年、京都日出新聞に「ぽんと町称呼考」を掲載している。先を意味するポルトガル語の「ポンタ」が変化し、鴨川に付き出た洲崎地をそう呼ぶようになった―。日出新聞でそう記した新村は広辞苑の編さん者。自説に準じて「ポント」を解説するのは、当然だった。
広辞苑が採用した説のほかにも、江戸時代に流行した狂歌に「~つづみの音のぽんと町かな」(『狂歌猫筑波』)と詠まれたのに基づく「鼓説」がある。また、キリスト教宣教師が鴨川にかかる橋(ポンテ)の多さを驚いたことによる「橋説」もあり、安部龍太郎さんの小説『等伯』につづられている。
たしかに、京都に住む私には慣れ親しんだ地名の呼び名ですが、由来を掘り下げると面白く京都の歴史を改めて実感しますね。